量質転化

 人前で「研修を受けています」と言うのは気恥ずかしい。そう思うのは私だけでしょうか。少なくとも私の場合、あえて人に言いたい事ではありせんでしたが、今は外聞をはばかる気もなくなりました。

 そう思えるのは、自分自身に「ひとつ抜けた」感覚が生まれたからです。

 ここで言う「抜けた」感覚とは何か。一つ引用をします。以下、日本を代表するプラグラマーである中島聡さんの著作「なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である」(文響社)から↓

 「プログラミング言語に関しては、最初はまったく意味がわかりませんでした。けれども雑誌に載っているプログラムをただひたすら、幾度も幾度も書き写していると、ある日突然プログラムの意味がわかるようになったのです。不思議な感覚でした。
 これは英語も似たようなものだと思います。わからなくてもいいから何回も書き続けたりしゃべり続けたりする。そうしているうちに、ある日突然『悟る』のです。私はプログラムを『悟った』あの瞬間の興奮を今でも忘れません。そしてその瞬間こそが、私がプログラムの世界に足を踏み入れた瞬間なのです」P115~116

 一定の努力が積み重なると、ある日、別のステージに入っている自分に気付く。私の場合、この体感は、サッカーを通じて得たものです。サッカー少年だった私は毎日夢中で練習しましたし、上達もしました。反復するうちにリフティングの回数が増えて行く。それまでは絶対に打てなかったようなシュートが打てるようになる。走り込めば筋肉もスタミナもついて行く。上達への確信は、リアルに私の中に残っています。

 私よりも上手いプレーヤーはいくらでもいました。私は同学年の小野伸二をライバル視していて、「シンジ、待ってろよ」とサッカー雑誌に載っていた中高時代の彼に語りかけていましたが、私の学校は常に栃木大会の1~2回戦で負けていたので、伸二は永遠に待たされることになりました。

 ここで言う「上達への確信」は、「人よりも上手くなる」ことではなく、過去の自分を超えられることに対する確信です。一定の時間はかかりますが、それでも続ければ何かが変わる。そのことに対する確信があるので、持続力には少し自信があります。

 「抜けた」結果、私が気付いたのは、「この研修で教わっている内容は、実は、今まで読んだ本の中に、書いてある」ということでした。例えば論語。例えば新約聖書。他にも、松下幸之助さんとか、デール・カーネギーとか。最近の本だと、稲盛和夫さんの「生き方」(サンマーク出版)に書いてある内容そのものです。それを、東洋哲学(インド、中国、日本思想)を織り交ぜながら、伝えて下さっているんだな、と。人間にとって本当に大事なエッセンスが、時代によって大きく変わるわけがない。人によって語り口が違うだけなのかもしれません。

 稲盛さんの「生き方」は、社会人1年目に、社長に勧められて読みました。それなりに感銘を受けましたし、その後も、折に触れて手に取りました。

 でも、全く、そのエッセンスを実践できていなかった。読んだだけで終わっていた。書いてあることは単純なんです。陳腐と言ってもいい。真実は、実は単純。ふつうはみんなスルーしちゃいます。だから、教会とか寺社仏閣とか宗教画とか仏像とか、大仰な仕掛けが必要なのでしょう。そこまでしないと、人は素直な心で真理を受け入れようとは思わない。

 真価を理解する、さらに実践に移すとは、こんなにも難しいのか。その難しさに、今、私は愕然としています。まあ、「読む・聞く」と「やる」とは大違い、という、それだけの話なのですが。

 受験生の皆さんに「抜ける」感覚が訪れないなら、それは、まだ積み重ねが足りない。厳しいようですが、思いや修行が足りないのです。でも、まだ2か月ある。あるんだよ!自己ベストを更新し続けて入試に臨んで下さい。

 絶対に超えられます。自分を全力で肯定してほしい。信じて欲しいなあ。

 追記:こう書くと、私は何だか成長マニアみたいでイヤですね。。それは否定しませんが、成長マニアが偉いわけではない、と思っていることも記しておきます。バーベキュー好きとか貯蓄好きと同じで、趣味です。何だって、淫して耽(ふけ)れば面白い。受験生の皆さまが点取りコンペに淫して下さいます様。

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